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2012-06

民族紛争に翻弄されたサッカー最強チーム

EURO2012、連日見ごたえのある試合が続きますね~。

私も毎日寝不足で疲れ気味です。(笑)

時々 残念に思うのは 選手たちがせっかく最高レベルの試合を見せてくれている
のに、マナーが非常に悪いサポーターが一部にいることです。

14日の イタリアVSクロアチア戦、クロアチアサポーターが発煙筒を投げ込んで
試合が一時中断されるという事態がありました。

また、ロシアのサポーターもチェコとの試合中、花火を投げ込んだり、会場付近で
暴動が発生するなどして、欧州サッカー連盟(UEFA)は13日、ロシアに対し、
今後同じようなことが起きた場合は次回の欧州選手権予選で勝ち点6をはく奪すると
警告しました。

また、ドイツのサポーターも ポルトガル戦で相手コーナーキックの前に
ピッチにモノを投げ込んだり、マナーの悪さが目立ちました。

このようなサポーターの行為は 本当に残念に思いますが、
サッカーって、国と国との、また民族同士の意地のぶつかり合い という側面も
残念ながらあると思います。

WOWOWで先日、放送された「ノンフィクションW」という番組で、
「幻の欧州サッカー王者 '92ユーゴスラビア代表の崩壊」という番組を見ました。

92年のユーゴ代表と言えば、現名古屋グランパス監督のストイコビッチさんが
キャプテンを勤め、日本代表監督もされていたイビチャ・オシムさんが
監督だったチームです。

「東欧のブラジル」と呼ばれるくらい、選手ひとりひとりの個人技が優れていて、
欧州選手権では 当時、優勝候補と言われていました。
トヨタカップでも 欧州代表として、レッドスター・ベオグラードが来日、
南米代表に3-0で勝利し、世界の頂点に立つという強さでした。

当時のユーゴは ひとつの国の中に6つの異なる民族がいて、宗教、言葉 なども
それぞれ違うという状況下でセルビア人、クロアチア人、スロベニア人
、ボスニア人、モンテネグロ人など、民族など関係なく実力のある人を選んで
多民族で構成されたユーゴ代表チームをオシムさんが率いていたわけです。

かつてのユーゴスラビアは現在、7つの国に分かれ、それぞれの道を歩んでいます。

91年に始まった内戦で、旧ユーゴ国内では数十万人の人々が亡くなり、
数百万人の人々が家を失いました。

しかし、代表チームの中で民族間の争いが起きることは一切なかったそうです。
民族の違いを超えて、チームとして結束していました。

しかし、まず 91年6月にクロアチアがユーゴからの独立を宣言すると、
ユーゴ代表の中のクロアチア人選手たちは、市民(クロアチア人)から
頻繁な脅迫を受けるなど、嫌がらせが始まりました。
そして、それらの圧力に耐え切れなくなったクロアチア人、スロベニア人選手の
多くは 代表チームを去っていきました。

一番悪質な攻撃を受けたのは セルビア人とクロアチア人を父母に
持つ選手(ミハイロビッチ選手)です。
クロアチアに生まれたミハイロビッチ選手は 父親と同じ国籍のセルビアを選択したの
ですが、その為に クロアチアの実家には「裏切り者」として何発もの銃弾を撃ち込まれ、
それ以来、一度も生家に帰れない状態になってしまったのです。

このように内戦はユーゴ代表の運命を翻弄し、結局 ユーゴ代表に残されたメンバーは 
セルビア人、モンテネグロ人だけとなってしまったわけですが、それでも彼らは
EURO予選を戦い続けました。
逆境に負けることなく、オシム率いるユーゴ代表はEURO予選を1位で通過します。

しかし、92年4月5日、ボスニアの首都、サラエボがユーゴ政府軍によって包囲されます。
それはボスニア・ヘルチェゴビナの独立に対し、ユーゴ政府軍が取った行動でした。
毎日、数百発の砲弾がサラエボの町に浴びせ続けられます。
これが ユーゴ代表に更なる悲劇をもたらすことに・・・。

サラエボはユーゴ代表監督、オシムの生まれ故郷でもあり、彼の妻と娘が取り残されて
いたからです。

ただ見ていることしかできない、そんな状況で代表監督を続けていたオシム氏。
「サラエボで起きていることを忘れるためにあえて監督をやっていたというか、
サッカーの仕事をしている間は 少しでも家族のことを忘れられると思ったのです。
やることがたくさんありましたから。」

サラエボの町は外界と遮断され、水や食料のような生活物資さえも手に入らない状態。
市内に取り残された人々の辛く苦しい日々が続いた。

EURO本大会開幕まで残り3週間となった92年5月22日、ユーゴサッカー協会で
オシム氏の会見が行われた。

「辛い決断ですが代表監督を辞任します。これでもう終わりです。
ユーロ本大会では指揮を執りません。開催地のスウェーデンにも行きません。
これは私の個人的な決断です、皆さんがそれをどう受け止めても構いません。
これ以上説明する必要はないでしょう。あの町のために私ができる唯一のことです。
私がサラエボで生まれたことを思い出してほしい。
皆さんはそこで何が起きているかをご存知のはずでしょう。以上です。」

代表監督を6年務めたオシムの辞任。これを最も理解していたのはユーゴ代表の
選手たちだった。

多民族国家の象徴だったユーゴ代表。そんな代表チームを誰よりも愛し、世界の舞台で
輝くことを誰よりも願っていたオシム氏。
苦渋の末に、ユーゴ代表を去っていくことに。

オシムの辞任から1週間、EURO92開幕式。
ユーゴ代表チームは 本大会の開催国、スウェーデンに乗り込んだ。

強豪イングランドとの初戦を2週間後に控えた5月30日、調整を進めていた
ユーゴ代表に、更なる悲劇が襲いかかる。

それは国連が採択したユーゴに対する制裁決議。
スポーツに国際政治が介入する異例の事態だった。

「ユーゴスラビア国内の混乱に対し、ユーゴスラビアの関係者は相応の責任を
負わなければならない。
ユーゴスラビアを代表する個人並びに集団が国際的なスポーツ大会に出場する場合、
それを禁止するために必要な措置を取る」

この決議はヨーロッパ選手権への出場権はく奪を意味していた。
知らせは 合宿中だった選手にも伝えられ、彼らはピッチに立つことなく、
サッカーヨーロッパ選手権という檜舞台から追放された。

「そのとき、私たちは本当に驚きました。 しかしそれ以上に怒りました。
なぜなら、私たちが勝ち取るはずだったものが奪われ、24時間以内の帰国まで
命じられたからです。あのときは本当に辛かったです。
そんな決議は到底、理解しがたく、受け入れられないものでした。
しかし、状況は すでに決定的な一線を越え、私たちにはどうすることも
できませんでした。そして帰り支度を始めるしかなかったのです。」
と、ストイコビッチ氏。

大会に代替国として出場したのはデンマーク。
ユーゴ代表に敗れ、予選を2位で終えた国だった。

ユーゴ代表が出場するはずだったヨーロッパ選手権。
大会を制したのは 奇跡の快進撃を制したそのデンマークだった。
予選でユーゴの後塵を拝したチームがヨーロッパチャンピオンになったのだ。


今、人口400万人のクロアチアはEURO2012にも出場し、サッカー強豪国としての
地位を確立しています。

スポーツの場に政治や民族紛争を持ち込むべきではないし、そういう意味では
多民族の代表でありながらも結束してきたユーゴスラビア代表、オシム監督は
素晴らしいです。
しかし、あまりにも 悲しい運命に翻弄されてしまいましたね。

ストイコビッチは 私も好きなサッカー選手のひとりですが、選手としてキャリアの
ピークの時期に、ワールドカップよりもレベルが高いと言われるEURO本戦への出場を
はく奪されるとは 本当に辛かったことでしょう。

EURO2012でのクロアチアサポーターの発煙筒を投げ入れる等の過激な行為は
決して許されるものではありませんが、
旧ユーゴの人たちは このような政治的事情で翻弄され、長い間 民族間で
いがみ合い、殺しあってきた歴史があって、スポーツもそれに翻弄されてきたと
いうことも 予備知識として 知っておいたほうがよいのかもしれません。

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