吉田所長の被ばく線量、約70ミリシーベルトと発表。でも・・・
東電は 11/28、吉田所長の退任と入院を発表したときには
「個人のプライバシー」を理由に、被ばく線量も 病名も発表しなかったのが、
12/9になって、病名は「食道がん」、
事故後の放射線の被曝線量を「約70ミリシーベルト」と発表しました。
福島第一原発・吉田前所長の病状は食道がん 東電が発表
この被ばく線量「約70ミリシーベルト」というのを聞いて、
「そんなに少ないはずはないのでは?」と疑問に思った方、多いのではないでしょうか。
吉田所長は 3/11の事故発生以来、免震棟内で おそらく何日も泊り込んでいた
状態ではなかったかと推測されます。
緊迫した事故の状況を報告する、吉田所長直筆のFAXが 以前公開されていました
よね。
http://www.nisa.meti.go.jp/earthquake/plant/1/plant-1-3.pdf
事故からしばらくの間は 吉田所長がいらっしゃった免震棟の線量も
高線量だった ということが過去には報道されていました。
+++++++
福島第一原発 免震棟内も当初、高線量 (東京新聞 2011年5月11日)
福島第一原発の事故対策に当たる作業員らが、三月の事故発生当初、前線基地となる
敷地内の免震重要棟内で、毎時〇・〇六~〇・〇七ミリシーベルトという高い放射線量に
さらされていたことが、本紙の取材で分かった。
作業員らは棟内に寝泊まりしており、一日いるだけで一般人が一年間に浴びても
差し支えないとされる年間限度(一ミリシーベルト)の一・五倍前後に相当する
放射線量だった。
免震重要棟は、新潟県中越沖地震で被害を受けた柏崎刈羽原発の教訓から建設された。
鉄筋コンクリート造りで、地震の力を受け流す構造。放射性物質を吸着するフィルター付き
空調を備えるなど放射線の影響を低減する工夫が凝らされていた。
しかし、三月十二日に約二百メートル離れた1号機が水素爆発を起こしたころから、
棟内の放射線量が上昇した。
棟では事故後、作業員らが出入りする二重扉部分にゆがみが見つかった。
高い放射線量となったのは、こうした隙間からの流入のほか、放射性物質が付着した防護服の
交換が事故直後は棟内で行われていたことも影響したとみられる。
また窓には放射線を遮蔽(しゃへい)する鉛板がなかった。
棟内の放射線量は、水素爆発から十日後には約十分の一まで低下。
四月下旬には同〇・〇〇二~〇・〇〇三ミリシーベルトに落ち着いた。
だが、少なくとも三月二十日ごろまで、棟内は構造的にも被ばく対策が不十分だった。
実際、棟内で働いていた女性社員で、内部被ばく率が極めて高いケースがあることも
判明した。
東京電力は、棟内の空気中の放射線を除去する浄化装置を設置したり、床面に拭き取りが
容易なビニールシートを敷いた。窓には鉛の遮蔽板も設置。棟外には防護服を脱ぐ施設も
つくった。
東電は「当初は棟内の被ばく防止まで目が届かなかった。被ばく線量管理も
不十分だった」と話している。
一方、原発から五キロ離れた敷地外の原発有事対応拠点(オフサイトセンター)の
室内でも十四日に同〇・〇五~〇・〇六ミリシーベルトを計測したという。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2011051102100009.html
+++++++
毎時0.06~0.07ミリシーベルトだと、24時間で1.44~1.68ミリシーベルト 。
吉田所長の被ばく線量が 70ミリシーベルトというのが本当なら、1000時間で
それに達してしまいます。免震棟に24時間泊り込みだと42日となりますが、
さすがに免震棟に1か月以上泊り込みまではしなかったでしょう。
でも、福島第一原発作業員、"ハッピーさん"のツィッターにこんな書き込みが
ありました。2011.10.15 のものです。
+++++++
・バンヮ(^O^)免震棟の中は0.03mSv/hくらいじゃないかなぁ…?場所によって違うけどね。
遮蔽が薄い所はもっと高いと思うでし。
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/10/post-7bba.html
+++++++
免震棟に遮蔽対策が施された後の 2011.10.15 になっても、
約半分の、0.03ミリシーベルト/毎時 にしか、なっていない。
この0.03ミリシーベルト/毎時 でも、2333時間で70ミリシーベルトになってしまいます。
1日10時間免震棟にいたら、234日で超えてしまいますが、
吉田所長の入院が発表されたのが11/28ですから、
3/11~11月中旬まで、250日間くらいは 働いたのではないか。
つまり、吉田所長の被ばく線量、70ミリシーベルト というのは
実際に浴びた値より かなり低く見積もった数値ではないかと いう疑問点があると
いうことです。
発表された数値から、線量が高い時期にずっと免震棟に泊り込みだった頃に浴びた線量を
考慮していない可能性があると思いました。
吉田所長は被爆が原因で短期間に食道がんになった、等と言うつもりはありませんが、
免震棟ではマスクもしておらず、吉田所長に限らず、事故当初に フクイチに
泊り込んで作業されていた作業員の皆さんは ある程度の内部被ばくをしている可能性が
高いでしょう。
食道がんは 消化器系の癌の中でも 困難な戦いになることが多いですが、
どうか 病に打ち勝って、復帰していただきたいものです。
「個人のプライバシー」を理由に、被ばく線量も 病名も発表しなかったのが、
12/9になって、病名は「食道がん」、
事故後の放射線の被曝線量を「約70ミリシーベルト」と発表しました。
福島第一原発・吉田前所長の病状は食道がん 東電が発表
この被ばく線量「約70ミリシーベルト」というのを聞いて、
「そんなに少ないはずはないのでは?」と疑問に思った方、多いのではないでしょうか。
吉田所長は 3/11の事故発生以来、免震棟内で おそらく何日も泊り込んでいた
状態ではなかったかと推測されます。
緊迫した事故の状況を報告する、吉田所長直筆のFAXが 以前公開されていました
よね。
http://www.nisa.meti.go.jp/earthquake/plant/1/plant-1-3.pdf
事故からしばらくの間は 吉田所長がいらっしゃった免震棟の線量も
高線量だった ということが過去には報道されていました。
+++++++
福島第一原発 免震棟内も当初、高線量 (東京新聞 2011年5月11日)
福島第一原発の事故対策に当たる作業員らが、三月の事故発生当初、前線基地となる
敷地内の免震重要棟内で、毎時〇・〇六~〇・〇七ミリシーベルトという高い放射線量に
さらされていたことが、本紙の取材で分かった。
作業員らは棟内に寝泊まりしており、一日いるだけで一般人が一年間に浴びても
差し支えないとされる年間限度(一ミリシーベルト)の一・五倍前後に相当する
放射線量だった。
免震重要棟は、新潟県中越沖地震で被害を受けた柏崎刈羽原発の教訓から建設された。
鉄筋コンクリート造りで、地震の力を受け流す構造。放射性物質を吸着するフィルター付き
空調を備えるなど放射線の影響を低減する工夫が凝らされていた。
しかし、三月十二日に約二百メートル離れた1号機が水素爆発を起こしたころから、
棟内の放射線量が上昇した。
棟では事故後、作業員らが出入りする二重扉部分にゆがみが見つかった。
高い放射線量となったのは、こうした隙間からの流入のほか、放射性物質が付着した防護服の
交換が事故直後は棟内で行われていたことも影響したとみられる。
また窓には放射線を遮蔽(しゃへい)する鉛板がなかった。
棟内の放射線量は、水素爆発から十日後には約十分の一まで低下。
四月下旬には同〇・〇〇二~〇・〇〇三ミリシーベルトに落ち着いた。
だが、少なくとも三月二十日ごろまで、棟内は構造的にも被ばく対策が不十分だった。
実際、棟内で働いていた女性社員で、内部被ばく率が極めて高いケースがあることも
判明した。
東京電力は、棟内の空気中の放射線を除去する浄化装置を設置したり、床面に拭き取りが
容易なビニールシートを敷いた。窓には鉛の遮蔽板も設置。棟外には防護服を脱ぐ施設も
つくった。
東電は「当初は棟内の被ばく防止まで目が届かなかった。被ばく線量管理も
不十分だった」と話している。
一方、原発から五キロ離れた敷地外の原発有事対応拠点(オフサイトセンター)の
室内でも十四日に同〇・〇五~〇・〇六ミリシーベルトを計測したという。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2011051102100009.html
+++++++
毎時0.06~0.07ミリシーベルトだと、24時間で1.44~1.68ミリシーベルト 。
吉田所長の被ばく線量が 70ミリシーベルトというのが本当なら、1000時間で
それに達してしまいます。免震棟に24時間泊り込みだと42日となりますが、
さすがに免震棟に1か月以上泊り込みまではしなかったでしょう。
でも、福島第一原発作業員、"ハッピーさん"のツィッターにこんな書き込みが
ありました。2011.10.15 のものです。
+++++++
・バンヮ(^O^)免震棟の中は0.03mSv/hくらいじゃないかなぁ…?場所によって違うけどね。
遮蔽が薄い所はもっと高いと思うでし。
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/10/post-7bba.html
+++++++
免震棟に遮蔽対策が施された後の 2011.10.15 になっても、
約半分の、0.03ミリシーベルト/毎時 にしか、なっていない。
この0.03ミリシーベルト/毎時 でも、2333時間で70ミリシーベルトになってしまいます。
1日10時間免震棟にいたら、234日で超えてしまいますが、
吉田所長の入院が発表されたのが11/28ですから、
3/11~11月中旬まで、250日間くらいは 働いたのではないか。
つまり、吉田所長の被ばく線量、70ミリシーベルト というのは
実際に浴びた値より かなり低く見積もった数値ではないかと いう疑問点があると
いうことです。
発表された数値から、線量が高い時期にずっと免震棟に泊り込みだった頃に浴びた線量を
考慮していない可能性があると思いました。
吉田所長は被爆が原因で短期間に食道がんになった、等と言うつもりはありませんが、
免震棟ではマスクもしておらず、吉田所長に限らず、事故当初に フクイチに
泊り込んで作業されていた作業員の皆さんは ある程度の内部被ばくをしている可能性が
高いでしょう。
食道がんは 消化器系の癌の中でも 困難な戦いになることが多いですが、
どうか 病に打ち勝って、復帰していただきたいものです。
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